明けましておめでとうございます
さて、新年を迎えました。
残念ながら災害や事故等心痛いニュースが続いております。
受験生にとっては入試を直前に控えて心穏やかであってほしい時期ですので、
耳に入る情報を取捨選択して自己コントロールを心がけていただきたく思います。
久しぶりにブログを書くにあたって何を書くかを少々悩みましたが、
今回は旧年生徒達より多く聞かれた”なんで勉強しないといけないの?”という質問に答える内容にしたいと思います。
どこぞの政治家さんは”三角関数なんぞは社会に出て何の役にも立たんからせんでいいでしょう”と言った内容の発言をメディアにしており、
もし、それを肯定するのであれば学校の勉強はしないでもいいと言った結論に至かもしれないように思います。
しかし、私としてはあまりそれを肯定する気にはなれません。
考えた利点は2つあります。
一つ目は、
先ず学習内容の有用性に関しては正直あまり重要ではなく、努力量を評価するシステムとしての学校の勉強は非常に良く出来たシステムかと考えます。
入試のある時期(中学卒業時、高校卒業時)にある程度まとまった時間と体力を好き嫌いに関わらずかけることの出来る素質は、将来のポテンシャルを底上げするものであり、
社会人になった後、例えば大学入試で一日10時間の学習を習慣的に出来た人と4時間ほどしかしなかった人では仕事にかけられる体力にも差が出ると思われますし、仕事(タスク)以外にも手を出そうとすると明確な差が出てくるでしょう。
二つ目は、
学校の学習には明確な正解があるという事です。
勉強が得意な人はある程度の所で答えの有る状況に冷めてしまう人も多く、答えの有る問題にはあまり意味が無いと言った論調になるのは団塊の世代の方ぐらいから脈々と続いています。
しかし、正解が必ず有ると言うことは、不正解の裏には自身の考え方に必ず間違いが有ると言うことです。答えを出すときに”これは間違ってる答えだ!”と自信を持っている人もいないでしょう。
自身の間違えを認めるのは非常にストレスのかかる事です。
もし、学習に真面目に向き合えば自動的に間違えを指摘され、それを正す事ができるとは考えられ無いでしょうか?上手くいけば自身で自身に指摘する事ができるようになるかもしれません。
また、ある程度複雑な内容に挑み続ければ、何となく正しい方向を向いてそうと言う感覚と自信を敵入れられる事でしょう。
さて、
まとめとしては、別に勉強が自身を成長させる唯一の方法と言いたいわけでは無いですが。
若くて、吸収率も成長度も高い時期に全力をかける物を見つけるべきかと思います。
学校が勉強する場所で、入試が成績で振り分けられる以上。
一時期でも勉強に全力を傾けてみる価値はある様に思えます。
今風に言えば、最高にコスパがいいですよ!
学習塾ボタニカ
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